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ジェンナーロ・ガロファロ作 ”花咲く湖畔”
縦:約55mm
横:約41mm
作者:ジェンナーロ・ガロファロ
QR:エクストラクオリティ+
世界に名高い超一流のシェルカメオ職人、ジェンナーロ・ガロファロ作のカメオの入荷です。
ジェンナーロ・ガロファロ氏はモダンカメオの先駆けとなった作者の1人で、存命中のカメオ作者としては最高に位置する職人です。
アンティークカメオとモダンカメオの違いはなにも時代だけではなく、アンティークはあくまでも彫刻的表現が追求されるのに対してモダンは彫刻と絵画の中間的な表現がなされるところが特徴で、この構図的特徴を人物図で世に示して見せたのがジェンナーロ・ガロファロ氏です。(モダンカメオそのものはジョヴァンニ・ノト氏を端とするが、ノト作の人物図に背景に風景を描いたものは無い)
ガロファロ氏のカメオは人物像の位置が低めにあることが多く、人物を描き空いたところに背景を描くのではなく、最初から人物と背景とが一体になった画面を描く、明らかに絵画的構図の取り方をしているのが他の作者に類を見ない特徴といえ、現在のモダンカメオの源流はジョヴァンニ・ノト氏が作り出したモチーフとジェンナーロ・ガロファロ氏が作り出した構図概念にあると言っていいでしょう。
今回のお品物はガロファロ作のスタンダード、湖水を背にしたポートレートのカメオです。
ガロファロ氏の代名詞的な湖水とプロフィール。
本作の制作年代は90年代、縁にドレープを用いなくなった、このタイプの最終期の作品になります。
構図的にはこのポートレートの基本を押さえて人物は画面に対して低めに配置され空が高く、彫りもドレープ枠の時代より滑らかになっており、装飾様式もこの時代独特のもので、この時代の典型的な作例のひとつといっていいでしょう。
ただ、個人的にはガロファロ作の中ではやや臨場感にかけると感じるところ。
ガロファロ作の良しあしを理解するには鑑賞にコツが要るというのは以前から時折話題に出すことで、ただパッと見ただけでは同じような作品が大量に存在するようにしか見えないわけですが、良いものはカメオ1枚の中に確かな空間を感じさせる独特の臨場感があるという明確な違いがあり、そしてガロファロ作の真価はこの空気感にあるといって過言ではありません。
本作は装飾の配置や像の厚みのコントロールがやや凡庸で湖水と人物の間にメリハリが乏しいといいましょうか…鳥の位置が、鳥ではなく胸元に添える手であったらおそらくだいぶ雰囲気が違ったと思われるあたり惜しい作品といった感じ。
そんなわけでそのあたりがお分かりの方にはちょっと物足りないといった印象が残るかと思いますが、ひとまず彫りの当たりはずれがある時期を過ぎた作品で安定していることや、50mm規格サイズでは画面が狭くなりすぎるガロファロ作のポートレートに望ましい広さがある55mm規格サイズであること、またこの時代のガロファロ氏の作品に特徴的な上質な貝材使用などの要点は抑えており、出来が良くないわけではなくあくまでガロファロ作の良作と比べると落ちるといった作品になります。
貝はコーヒー色に斑のない白色の美しいサードニクス。
この年代以降のガロファロ作は色、厚みともに貝の質がいいものが多く、本作もその例にもれず良い貝を使っています。
ヘアラインは右の遠景の山のあたりに数筋ある程度で普通に見てわからず、良好な状態を保っております。
横:約41mm
作者:ジェンナーロ・ガロファロ
QR:エクストラクオリティ+
世界に名高い超一流のシェルカメオ職人、ジェンナーロ・ガロファロ作のカメオの入荷です。
ジェンナーロ・ガロファロ氏はモダンカメオの先駆けとなった作者の1人で、存命中のカメオ作者としては最高に位置する職人です。
アンティークカメオとモダンカメオの違いはなにも時代だけではなく、アンティークはあくまでも彫刻的表現が追求されるのに対してモダンは彫刻と絵画の中間的な表現がなされるところが特徴で、この構図的特徴を人物図で世に示して見せたのがジェンナーロ・ガロファロ氏です。(モダンカメオそのものはジョヴァンニ・ノト氏を端とするが、ノト作の人物図に背景に風景を描いたものは無い)
ガロファロ氏のカメオは人物像の位置が低めにあることが多く、人物を描き空いたところに背景を描くのではなく、最初から人物と背景とが一体になった画面を描く、明らかに絵画的構図の取り方をしているのが他の作者に類を見ない特徴といえ、現在のモダンカメオの源流はジョヴァンニ・ノト氏が作り出したモチーフとジェンナーロ・ガロファロ氏が作り出した構図概念にあると言っていいでしょう。
今回のお品物はガロファロ作のスタンダード、湖水を背にしたポートレートのカメオです。
ガロファロ氏の代名詞的な湖水とプロフィール。
本作の制作年代は90年代、縁にドレープを用いなくなった、このタイプの最終期の作品になります。
構図的にはこのポートレートの基本を押さえて人物は画面に対して低めに配置され空が高く、彫りもドレープ枠の時代より滑らかになっており、装飾様式もこの時代独特のもので、この時代の典型的な作例のひとつといっていいでしょう。
ただ、個人的にはガロファロ作の中ではやや臨場感にかけると感じるところ。
ガロファロ作の良しあしを理解するには鑑賞にコツが要るというのは以前から時折話題に出すことで、ただパッと見ただけでは同じような作品が大量に存在するようにしか見えないわけですが、良いものはカメオ1枚の中に確かな空間を感じさせる独特の臨場感があるという明確な違いがあり、そしてガロファロ作の真価はこの空気感にあるといって過言ではありません。
本作は装飾の配置や像の厚みのコントロールがやや凡庸で湖水と人物の間にメリハリが乏しいといいましょうか…鳥の位置が、鳥ではなく胸元に添える手であったらおそらくだいぶ雰囲気が違ったと思われるあたり惜しい作品といった感じ。
そんなわけでそのあたりがお分かりの方にはちょっと物足りないといった印象が残るかと思いますが、ひとまず彫りの当たりはずれがある時期を過ぎた作品で安定していることや、50mm規格サイズでは画面が狭くなりすぎるガロファロ作のポートレートに望ましい広さがある55mm規格サイズであること、またこの時代のガロファロ氏の作品に特徴的な上質な貝材使用などの要点は抑えており、出来が良くないわけではなくあくまでガロファロ作の良作と比べると落ちるといった作品になります。
貝はコーヒー色に斑のない白色の美しいサードニクス。
この年代以降のガロファロ作は色、厚みともに貝の質がいいものが多く、本作もその例にもれず良い貝を使っています。
ヘアラインは右の遠景の山のあたりに数筋ある程度で普通に見てわからず、良好な状態を保っております。