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2021/12/29 08:18

フェルディナンド・セルペ氏は齢50を過ぎたばかりという年齢的には中堅の作者ですが、若い頃から卓越した技術と他の作家にはない独自性とを確立した数少ない職人です。
こと風景物においてはジョヴァンニ・アメンドーラ氏以来の名手であり、美しい直線と貝の濃淡を巧妙に活かした技法はカメオに絵としての側面を強く付加したもの(精緻な直線と色の濃淡で空気遠近を示した優れた風景物は古くジョヴァンニ・ノト氏の作品からみられるが、近景を彫刻、遠景を絵画的表現で分けたノト氏に対してセルペ氏は全体的に絵画的表現が強い)で、一つの新時代を作ったといったもいいでしょう。
チーロ・オリス・マラッツォ氏やラファエレ・ヴィティエロ氏の彫る水影の素晴らしいヴェネツィアの風景物などは明らかにセルペ氏の技法に影響を色濃く受けたもので、他にも後に続く優れた風景物の作者たちに少なからず影響を与えており、この点から見てもその存在の重要性が分かります。
カメオの彫刻は教職の傍らであると言われており作品数はさほど多くなく、近年は滅多に見ることがありませんが(セルペ作とみればフェルディナンド作と称して販売しているのをみるが弟のウンベルト作であることも少なくない。カメオ作者は同姓の人物が非常に多いので、姓で安易に判定しないよう気を付けたい)同氏の作品はシェルカメオに詳しくない人が見ても優れた作品だということが分かるレベルにあり、近い将来確実に巨匠として名を馳せることになるでしょう。
個人的にも現代の作者の中で最注目のひとりであり、その技術力や傾向からジョヴァンニ・ノト氏以降のモダンカメオの時代においてもっともノト氏に近いのがフェルディナンド・セルペ氏であるとみております。
セルペ氏の作品の特徴は何といっても美しい風景の描写。
概要の方で書きましたように貝の色の濃淡を巧みに使うことでその美しい描写を可能としております。
セルペ氏の描く水影や空気のかすみは見事の一言で、特徴としてはこの点が第一に来ることは間違いないでしょう。
しかし、ここからさらに突っ込んだ個人的な所感では、ブリューゲルの絵画をおおくモチーフに取り入れているところに注目したいところです。
まずそもそも、良い絵というものは、画面内の主役がはっきりしているものです。
例えば大海原にポツンと浮かぶ船であったりするような配置・形の構図で見せるものもあれば、暗い色で占められた画面の中に主役のみが明るい色合いで描かれるなど、色の構図でその主役を表現するものもあります。
カメオは絵ではないものの画面があるため構図という概念が存在し、やはりその画面の中において何が主役なのかはっきりしないカメオはあまりいいカメオではありません。
ところが、カメオは画面が小さく色数も限られるため、人物物はともかく風景物や絵画物では上記のような絵画における主役の表現技法が有効でないケースが多く、特に絵画を元にしたカメオでは、ただ画面を模写しただけでは絵画の主役表現が欠落したものになりがちです。
これらの形式のカメオが多くなってきた20世紀中ごろ、私がオールドモダンと呼んでいる、ジョヴァンニ・ノトを祖とする様式では、主役を高く彫り上げて強い陰影を落とすことで強調してこの問題を解決していました。
時代が下ってノト氏とその弟子たちが引退したモダンカメオの時代になるとこれらの技法を追求する作者はいなくなり(検証中であるが、そもそも使う貝が薄い種類に変わってこの時代のような表現ができない素材が多くなった可能性もでている)変わってセルペ氏による貝の濃淡を主として用いた絵画的な画面作りが台頭してきます。
しかしこの色の濃淡を用いる技法には貝の厚みを残した彫りができないという欠点があり、この技法のみで画面を構成するとなると主役を際立たせることができないという問題が出てくるわけです。
おそらくセルペ氏もこのことに気づいていたのでしょう。
だからセルペ氏がモチーフとして選んだのが、特定の誰かが主役ではなく群衆とその人々の営みそのものが主役であるピーテル・ブリューゲルの絵画だったのだと思います。
これにより、特定の主役をどう表現するかという問題を、そもそも特定の主役が存在しないということで解決しつつ、画面内に主役がいないという根本的な欠陥を画面内の群体の営みが主役ということで解決したのです。
セルペ氏の作品の特徴は何といっても美しい風景の描写。
概要の方で書きましたように貝の色の濃淡を巧みに使うことでその美しい描写を可能としております。
セルペ氏の描く水影や空気のかすみは見事の一言で、特徴としてはこの点が第一に来ることは間違いないでしょう。
しかし、ここからさらに突っ込んだ個人的な所感では、ブリューゲルの絵画をおおくモチーフに取り入れているところに注目したいところです。
まずそもそも、良い絵というものは、画面内の主役がはっきりしているものです。
例えば大海原にポツンと浮かぶ船であったりするような配置・形の構図で見せるものもあれば、暗い色で占められた画面の中に主役のみが明るい色合いで描かれるなど、色の構図でその主役を表現するものもあります。
カメオは絵ではないものの画面があるため構図という概念が存在し、やはりその画面の中において何が主役なのかはっきりしないカメオはあまりいいカメオではありません。
ところが、カメオは画面が小さく色数も限られるため、人物物はともかく風景物や絵画物では上記のような絵画における主役の表現技法が有効でないケースが多く、特に絵画を元にしたカメオでは、ただ画面を模写しただけでは絵画の主役表現が欠落したものになりがちです。
これらの形式のカメオが多くなってきた20世紀中ごろ、私がオールドモダンと呼んでいる、ジョヴァンニ・ノトを祖とする様式では、主役を高く彫り上げて強い陰影を落とすことで強調してこの問題を解決していました。
時代が下ってノト氏とその弟子たちが引退したモダンカメオの時代になるとこれらの技法を追求する作者はいなくなり(検証中であるが、そもそも使う貝が薄い種類に変わってこの時代のような表現ができない素材が多くなった可能性もでている)変わってセルペ氏による貝の濃淡を主として用いた絵画的な画面作りが台頭してきます。
しかしこの色の濃淡を用いる技法には貝の厚みを残した彫りができないという欠点があり、この技法のみで画面を構成するとなると主役を際立たせることができないという問題が出てくるわけです。
おそらくセルペ氏もこのことに気づいていたのでしょう。
だからセルペ氏がモチーフとして選んだのが、特定の誰かが主役ではなく群衆とその人々の営みそのものが主役であるピーテル・ブリューゲルの絵画だったのだと思います。
これにより、特定の主役をどう表現するかという問題を、そもそも特定の主役が存在しないということで解決しつつ、画面内に主役がいないという根本的な欠陥を画面内の群体の営みが主役ということで解決したのです。
現代のカメオ作家は画面演出に対する理解を持つことと絵画的修練を軽視しているフシがあり、2022年現在でもこの点を意識してしっかりカメオを作っている作者は一線級の作者を含めてもあまりいないことを考えると、この世界におけるセルペ氏の絵画に対する理解の深さがいかに先を行くものであるか、そしてそれゆえに一つの様式を築き上げることができたという、決してたまたまうまくいったのではなく、その成功には明確な理由があったのだという背景がうかがい知れます。
セルペ作は新しいものであればほぼハズレはないのですが、購入の際に気を付けることが2つだけあります。
ひとつは、古いものはあまりよくないので新しいものを選ぶ必要があるのですが、これがサインでは判別が難しいのでモチーフなどでしっかり判断すること。
もうひとつは、概要の項で触れたように知識と責任感に乏しい販売者がウンベルト作をフェルディナンド作と称して販売していることがよくある(セルペ作とのみ表記し、嘘ではないが誤認を誘うやり方をしているところもある)ため、これを掴まされないようにすることです。
前者は見る目を養う以外にありませんが、後者の方はサインがU.SerpeやSerpe.Uになっている(もちろんフェルディナンド作はF.SerpeないしSerpe.Fである)ことで容易に見分けられます。
また仕上がりも全然違って、フェルディナンド作と同様にブリューゲルの絵画をモチーフとしたものが多いのですがフェルディナンド作ほど整然としていない…例えば建物など直線であるべきものがゆがんでいたり、人物がおかしな崩れ方をしているので、見慣れてくると作風を一瞥できればサインを改めるまでもなく区別ができるようになるでしょう。
ちなみに、取り違えて売っている業者は、サインのファーストネームのイニシャルがFではないことがわかっていてもなおV.Serpeなどと解釈してフェルディナンド作だと言っていることがあります。
セルペ作は新しいものであればほぼハズレはないのですが、購入の際に気を付けることが2つだけあります。
ひとつは、古いものはあまりよくないので新しいものを選ぶ必要があるのですが、これがサインでは判別が難しいのでモチーフなどでしっかり判断すること。
もうひとつは、概要の項で触れたように知識と責任感に乏しい販売者がウンベルト作をフェルディナンド作と称して販売していることがよくある(セルペ作とのみ表記し、嘘ではないが誤認を誘うやり方をしているところもある)ため、これを掴まされないようにすることです。
前者は見る目を養う以外にありませんが、後者の方はサインがU.SerpeやSerpe.Uになっている(もちろんフェルディナンド作はF.SerpeないしSerpe.Fである)ことで容易に見分けられます。
また仕上がりも全然違って、フェルディナンド作と同様にブリューゲルの絵画をモチーフとしたものが多いのですがフェルディナンド作ほど整然としていない…例えば建物など直線であるべきものがゆがんでいたり、人物がおかしな崩れ方をしているので、見慣れてくると作風を一瞥できればサインを改めるまでもなく区別ができるようになるでしょう。
ちなみに、取り違えて売っている業者は、サインのファーストネームのイニシャルがFではないことがわかっていてもなおV.Serpeなどと解釈してフェルディナンド作だと言っていることがあります。
Vの文字をFの音で発音するのはイタリア語の発音ではありませんが、一応ドイツ語の発音法則では見られることなので、まったく意味不明な解釈というほどでもないのが少し面白いです。もちろん、それで騙される側はたまったものではありませんが…。
ちなみにフェルディナンドのドイツ語型のフェルディナントはFerdinandと表記しイニシャルはVではないので、やはりここは作者が何らかの酔狂でドイツ語表記にした可能性などに期待せず、素直にFでなければフェルディナンド作ではないと把握しておきましょう。
ちなみにフェルディナンドのドイツ語型のフェルディナントはFerdinandと表記しイニシャルはVではないので、やはりここは作者が何らかの酔狂でドイツ語表記にした可能性などに期待せず、素直にFでなければフェルディナンド作ではないと把握しておきましょう。