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2019/03/31 15:11

ジョヴァンニ・ノト氏は1902年生まれのシェルカメオ作家です。
1985年にその人生に幕を降ろすまでの間に輝かしい経歴を残し、世界的にはカルロ・パルラーティ氏を上回る評価を誇っております。
その経歴は現在のカメオ彫刻家からみれば異例とも言ってよく、カルティエやブルガリなど一流ブランドへのカメオの提供やイタリア王国国家からの依頼を受けて記念品のカメオの制作もやっており、リンドバーグの大西洋横断記念の贈答品、また晩年にはチャールズ皇太子とダイアナ妃の婚姻祝の作品も手がけ、その他スペインはマドリード、フランスはパリ、アメリカはニューヨークと各地の美術館や博物館にも作品が所蔵されいることからも、彼の活動範囲の広さと支持の深さが伺えます。
イタリア王国が共和制に移行した直後には、王国期に宮廷彫刻師として仕えたフランチェスコ・アパを祖とする老舗工房ジョヴァンニ・アパで美術監督に就任しており、その経歴と実績は名実ともにイタリア最後のカメオのマエストロ(宮廷彫刻師)的存在であったと言えましょう。
また、ノト氏の遺した影響はノト氏の名自体は知られていないこの日本のカメオ市場においても色濃く見られます。
現在ペルニーチェ兄弟をはじめ様々なカメオに見られる胸元に手を添えたポーズや手に小鳥を留めたポーズなど、プロフィールデザインの中に人物の手をいれたものや、背景に花や小鳥、蝶などを添えた装飾は、実は1900年初期以前には全くと言っていいほど見られません。
私の知る限りそうしたデザインが見られるのは1930年以前のノト作と見られる無銘のカメオ数点が最古のもので、その後1940年代から爆発的に流行して現在に続くプロフィールカメオのスタンダードとなるに至っております※。
現代のカメオを見慣れた目にはごく一般的な作品にも映るノト作は決してもとから一般的であったのではなく、当時革新的であったものが、のちの作者たちの多くが(誇張無しに全く影響を受けていない作者はほぼいないほどに)何世代にも何十年にもわたってノト作を手本としてその作風を追いかけたために一般的となったもの…すなわち、ノト氏の作品こそが現代のほとんどのカメオの原点であり、ノト氏の存在なくして現在のカメオは存在しえなかったものなのです。
現代のカメオを見慣れた目にはごく一般的な作品にも映るノト作は決してもとから一般的であったのではなく、当時革新的であったものが、のちの作者たちの多くが(誇張無しに全く影響を受けていない作者はほぼいないほどに)何世代にも何十年にもわたってノト作を手本としてその作風を追いかけたために一般的となったもの…すなわち、ノト氏の作品こそが現代のほとんどのカメオの原点であり、ノト氏の存在なくして現在のカメオは存在しえなかったものなのです。
実際モダンカメオの始祖でありお手本でもあるという事実を示すように、イタリア現地の彫刻家たちのノト氏に対する畏敬の念は非常に深く、彼のみが”Professor(教授)”という敬称をつけて呼ばれます。
※時代ごとにカメオを注意深く見ていれば、20世紀前半ごろのカメオはアメリカでカメオの需要が高まり生産数が多いにもかかわらず、シェルもストーンもその品質が低迷していることが分かる。
おそらく、当時は第一次世界大戦や世界恐慌といった世界的規模の混乱による疲弊で職人が育たない時代であったものと思われる。
アンティークのカメオからモダンへの様式の移行は、20世紀初頭に一旦カメオ彫刻における大規模な失伝を挟んだが故の大転換でもあったのであろう。
そして第二次大戦を終えて育ち始めた職人たちが目指したのが、すでに当時技術とセンスにおいて圧倒的な高みにおり、それまでになかった新しいカメオをまさしく美術品と呼ぶにふさわしいクオリティで制作していたノト氏であり、さらに現在でも現役のカメオ彫刻家たちがノト氏の遺した作品の画像を収集してはその模刻を行っているのである。
なお余談であるが、実際に私はフェイスブックを通じて現地の彫刻家たちや各国のカメオ愛好家と交流があり、当ギャラリーのノトコレクションは現役の名匠・巨匠たちからも高い評価を得、また複数の彫刻家が私が投稿した写真をもとに模刻またはモチーフに取り入れた作品を公開している。
日本へカメオが積極的に輸入されるより前の時代に活躍した人物であるため(日本でカメオが流通し始めたちょうどそのころに亡くなったため、日本の宝飾業界は商品になる新作を手に入れることができなかった。従って自社の利益と関係のないノト氏の功績や名声は宣伝されなかった)日本では一般的に知られておらず、作品も極めて数が少ない状態にあったノト氏。
古物のノト作を扱おうにも、ノト氏に影響を受けた作家・作品は数しれず、さらにノト氏のカメオは在銘無銘が入交じり、無銘でも間違いないようのない真作が存在する一方で、一見は筆跡に違和感のない在銘品でも弟子の作品であったり後銘を入れた贋作であるものも数多く、さらにもとは無銘の真作であったものに後銘がいれられたと思しき筆跡だけを見れば怪しいものも相当数ある、挙句の果てには大多数の作家のように特定の得意分野を持って作風が固定されるわけでなく、それが人物だろうと風景だろうと動物だろうと、どんなものでも作ることができた上に仕上がりを柔軟に変えることもでき、比較的一般的なものから超一流の作品まで幅広く現存するとあって、その真贋は経験を積まなければとても鑑定できない品物であり、その鑑定ができる人物や機関がなかった※ことも流通を阻害した要素でありましょう。
※時代ごとにカメオを注意深く見ていれば、20世紀前半ごろのカメオはアメリカでカメオの需要が高まり生産数が多いにもかかわらず、シェルもストーンもその品質が低迷していることが分かる。
おそらく、当時は第一次世界大戦や世界恐慌といった世界的規模の混乱による疲弊で職人が育たない時代であったものと思われる。
アンティークのカメオからモダンへの様式の移行は、20世紀初頭に一旦カメオ彫刻における大規模な失伝を挟んだが故の大転換でもあったのであろう。
そして第二次大戦を終えて育ち始めた職人たちが目指したのが、すでに当時技術とセンスにおいて圧倒的な高みにおり、それまでになかった新しいカメオをまさしく美術品と呼ぶにふさわしいクオリティで制作していたノト氏であり、さらに現在でも現役のカメオ彫刻家たちがノト氏の遺した作品の画像を収集してはその模刻を行っているのである。
なお余談であるが、実際に私はフェイスブックを通じて現地の彫刻家たちや各国のカメオ愛好家と交流があり、当ギャラリーのノトコレクションは現役の名匠・巨匠たちからも高い評価を得、また複数の彫刻家が私が投稿した写真をもとに模刻またはモチーフに取り入れた作品を公開している。
日本へカメオが積極的に輸入されるより前の時代に活躍した人物であるため(日本でカメオが流通し始めたちょうどそのころに亡くなったため、日本の宝飾業界は商品になる新作を手に入れることができなかった。従って自社の利益と関係のないノト氏の功績や名声は宣伝されなかった)日本では一般的に知られておらず、作品も極めて数が少ない状態にあったノト氏。
古物のノト作を扱おうにも、ノト氏に影響を受けた作家・作品は数しれず、さらにノト氏のカメオは在銘無銘が入交じり、無銘でも間違いないようのない真作が存在する一方で、一見は筆跡に違和感のない在銘品でも弟子の作品であったり後銘を入れた贋作であるものも数多く、さらにもとは無銘の真作であったものに後銘がいれられたと思しき筆跡だけを見れば怪しいものも相当数ある、挙句の果てには大多数の作家のように特定の得意分野を持って作風が固定されるわけでなく、それが人物だろうと風景だろうと動物だろうと、どんなものでも作ることができた上に仕上がりを柔軟に変えることもでき、比較的一般的なものから超一流の作品まで幅広く現存するとあって、その真贋は経験を積まなければとても鑑定できない品物であり、その鑑定ができる人物や機関がなかった※ことも流通を阻害した要素でありましょう。
※鑑別と鑑定は別で、鑑別は普通に各機関で可能。ただし鑑別によって証明されるのは”材料が貝である”というただ一点のみであり、作品の真贋や出来の良し悪しについては何ら保証するものではない。
一応”〇〇のサインが入っている”と表記した鑑別書の例もあるが、ことノト作に限っては上記の通りサインが全くアテにならないため、こうした表記での鑑別書では真作を証明し得ない。
結果として、言うまでもなくノト氏の作品の現在の日本市場における評価は不当の極みであり、欧米であればカメオを学んでいて知らないなどありえない作者ですが、国内ではその名前すらもほとんど知られておりません。※
僭越ながらノト作の正当な評価を日本国内に広める先鋒は当ギャラリーが担っている状態であり、こうして情報を開示しつつギャラリーとして活動している目的のひとつである、バブル期以降宝石商の都合のいいように言うがまま形作られてきたカメオの市場観を脱し、愛好家の眼による公正かつ美術的な価値観をはぐくむことの一環として、積極的にノト作を海外より買い付け・展示しております。
※2022年8月現在、以前よりノト氏の名を知る人は増えてきたものの、同時に贋作を売りつける人も現れているので注意。
日本国内においてノト作とされるもので、当ギャラリーを経由していない(販売したものも履歴は残しています)ものは90%以上贋物と思って良い。
国内においそれと出回っていないからこそ、ここまですぐれた作品を作るにもかかわらず誰も知らなかったのである。